自主映画がツマンネー理由
久しぶりに自主映画を観るチャンスがやって来ました。
イマドキは自主映画もBlu-rayだったりして時代の変化の速さに驚いたりしたワケです。
私にディスクを貸してくれた方曰く「途中で何度も寝た」という、正に正調自主映画の趣き、というかある種の香りがプンプンする作品です。
妻には宮崎駿の実写映画と騙して見せてみようと思っちょります。
で、見てもない作品を貶すだけでは余りにもアレだと思いますので、なぜツマンネーか?逆に考えると面白いモノにするための方法について書いて参ります。
まず大切な事は脚本。
大体の自主映画は、作った人の「こうなりたい」が具現化されちゃってます。
学生のこうなりたい、なんて大体陳腐で青臭くてツマンネーのは、自分の学生時代を思い出したら分かります。
じゃ、どうすれば良いか?簡単です。
古今東西の名作の構成、もしくは現実の出来事をベースにすれば宜しい。
まんま使うとパクリですから、究極まで単純化した構成を利用しましょう。
半沢直樹と時代劇は実は同じ構成だったりするのです。
古典の鉄板構成に「観客が見たいモノ」という観点で味付けをすればそう外したモノにはならない筈です。
自主映画のダメな点がもうひとつ。
それは友達だけしか出てこない。という点です。
芝居が下手なのは仕方がありませんが、仲間内の生ヌルい空気を、カメラは残酷なまでに写し撮ってしまいます。
そんなモン見せられるのは、他人の披露宴ビデオに愛想笑いする位ツライです。
どこの街にも演劇やってる人達はいますから、そこから3人借りて異分子として制作チームに入れましょう。
いい意味での緊張感が画面を引き締めてくれる筈です。船頭が増えた状態になって決裂寸前のチームをゴールに導いた時、「次回作のネタになるなこりゃ!」位図太い方はtony togoに連絡下さい。
今回の記事も「受給ギャップ」という観点からの発想であります。
では、また来週。