【随筆】映画「風立ちぬ」のヒットで荒井由実の「ひこうき雲」が往年の「ライディーン」並に消費されているので思ったこと
昨日、妻と二人で趣味のパン屋さん巡りとお参りに出かけたついでに久留米の道の駅に立ち寄ったのです。
道の駅の裏手に植木屋さんがありましたのでちょっと覗いてみたところ、荒井由実の「ひこうき雲」が掛かっておりました。
前日には激安スーパー「ルミエール」でも掛かっておりまして、「これはYMOのライディーンがパチンコ屋で鳴り響いていた」という何かで読んだ光景に近いのだなと思いました。
「ひこうき雲」という歌は、私はiTunesにずっと入ってましたが、結構重い歌詞であります。
映画「風立ちぬ」がどんな話かは知らないですが、爽やかな青年が青空バックで立っているという世界観の歌ではないことだけは確かであります。
まぁそんなことはどうでもいいのですが、この出来事を通じて「未だに広告宣伝はある程度効くのだな。」と改めて思ったわけであります。
荒井由実が「中央フリーウェイ」の後に松任谷由実になった頃、八王子もちょっとカッコイイイメージを纏っちゃったりして、そもそも有料なんだからフリーウェイはねえんじゃねぇかなんて軽薄な青年が切って捨てて「なんとなく、クリスタル」の読点がなんとなく意味があるなんて言ってた昭和で言います所の55年辺り。
神宮前がかっこ良くって、コピーライターにみんな成りたくて。セゾングループの広告が突き抜けてたり、ラフォーレ原宿松山店が出来たりした時代です。
未だに「バブルよもう一度」と願っている脳の腐った中年が「新人類」だった頃ってのは、大量消費が本格的に始まって、「POPYE」や「Olive」に代表されるマガジンハウス主導の個性化が始まったと言われておりますが、まだまだ日本中が事実上のモノカルチャーだったと思います。
TVや広告に映し出される商品を正直に消費していた。だからこそ先端にいるコピーライターは商売になった訳です。
書けば売れた貧しい時代だったと言えるでしょう。
脱モノカルチャーの流れとして、80年代後半から盛んに言われ始めたのが「多様化」であります。
流行りの学者が言い出して、広告業界が乗っかって、行政が何となく推進しちゃった「多様化」ですが、遅々として進みませんでした。
90年代を通じても「小室ファミリー」が売れたり、「Jリーグ」に熱狂したり、「たまごっち」が品薄で大騒ぎしたり。
結局、「多様化」を果たす原動力になったのは「インターネット」であります。
そこには自由な言論空間があって、ほとんどどんなジャンルであっても「同好の士」と出会うことが出来たのです。そこに流通機能が乗っかると、「国民的大ヒット商品」が生まれづらい、リアルな「多様化の時代」がやってきたのであります。
媒体を売りつける手段として自分らが旗振ってた「多様化」が実現した途端に食い扶持が荒らされると、旧メディアは一斉にネットを敵視しはじめます。
2~3年位前から、やっと旧メディアがネットを取り入れようと努力を始めますが、上に立つ人間は脳の腐ったバブル新人類ですから、もう10年掛かると思われます。
「風立ちぬ」のプロモーションによって、「ひこうき雲」が40年の時を超えて蘇ったという今回の事例は、「ジブリ」の「宮崎駿の最新作」という商品力に負うところが大きいのであると考えられます。
【まとめ】
今回は、思ったことを書いたら全くまとめようのない記事でした。
明日から本気だす。